こどもに理想の姿を求めるな!

想いがあるから、保育者は悩むんだよね。
例えばさ、こんなこどもに育てたいと、、、 
 
「協調性のある子」
「ともだちに優しくできる子」
「ご飯を残さずに食に感謝する子」…etc 
 
…聞き心地が良くてきれいな言葉を並べると
間違えてない気がするんだよね。でもさ。
「協調性」は捉え方によって、多数決に乗らないといけないとか、人に合わせないといけないとか
そういう方向になりがち。これってキケン。
 
「ともだちに優しく」は捉え方によって、"けんかは良くない"と考える人もいる。
兄弟や友人、自分以外の人と思い通りにならずに、気持ちを抑えきれない経験はすべきだ。
幼少期の感情的経験が人生の理性、倫理観に繋がっていくのだ。
「食べる」目的を誤ると、食べることが苦痛になってしまう。
給食の"お皿ピカピカ"を喜んでるのは本当は誰なのか?
(食べてくれたと自分がホッとするのではないか。)誰のために?(おうちの人が喜んでくれるから?)
励ましてるつもりが"残したら作ってくれた人が悲しいよ"こんなこと現場で言ってないか。
残されて悲しいのは、大人のエゴだ。少食な子もいるし克服できない食べ物もある。
食事は頑張るものじゃない。
 
一人一人成長のタイミングや、意欲のボタンが必ずある。
焦らず、慌てずできたら、日本の将来って変わると思うんだ。保育も楽しくなるよね。
 
直接的にこどもを1ミリも変えようとしない。環境を工夫してみるのだ。
それによって結果的にこどもが意欲をもって変化する。そんなドラマが目の当たりに転がってるのが保育。
心のどこかで日常の保育に違和感を感じながら、チームで共有できずに、改善されないことあるかもしれない。
だけど、仲間を信じてちょっとだけ勇気を持って伝えてみようよ!保育は頑張らずに、顔晴ろう!!
 
今日は宮古島にて研修予定だったんだけど、東京⇄宮古島でオンラインに変更!
オンラインて、「事をこなす」ことはできてスマートなんだけど、会うからこそ"生まれるもの"がある。
大好きな仲間に来月は逢いたいなぁ!