目一杯生きよう

"専業主婦になりたい"と昔から人一倍願い続け、結婚するときには「絶対に一生働かない宣言」をした。
きっと、ないものねだりだった。私の母はバイタリティ溢れるシングルマザーだった。
母は住宅のリフォームをする小さな会社を水戸市で営んでいた。
茨城でも、その業界でも女性社長は珍しい時代だった。
その名も、水戸リフォームセンター。
社名が左胸元に印字されているジャンパーには、よくペンキがくっついていた。
母は忙しくて、私の授業参観にはペンキのくっついたジャンパーを着て、
ドタバタと遅れて登場するから目立ってしまう。ちょっと恥ずかしかった。
 
クラスメイトの大内くんとか、井上くんのお母さんは優雅でいつも美しい。羨ましかった。
私は、いつか優雅なお母さんになりたいと、専業主婦への憧れは当初からあった。
理想の将来の私の姿は…家族が起きる前にお化粧をして、フリルのついたエプロンをつけて朝食を作る自分。
(イメージ・君島十和子さん)家族の朝の出発を優雅に「行ってらっしゃい」と送り出す姿。
趣味はお料理学校と優雅なランチタイム。…幻想だった。
 
夢にまで抱いた理想の「優雅なお母さん」とはあまりにもかけ離れた現在の私。
我が子の行事を忘れてしまう、朝ごはんは90%夫が担当。ノーメイクで朝の送り出し。
お料理したら指を切る。(大怪我は2回程度)アイロンかけたら足を火傷。
洗い物したら食器を割る。ヒドイモンなんだけど。でもね、なんか悪くない。
(周りは困ってるかもしれないけどね)理想の姿、母はこうあるべきなんてやめようと思うのだ。
比較したらギャップに苦しむ。比較すべきでないことと比較をして、
苦しむくらいなら、全部受け入れて楽に生きようと思う。
 
起業してから、我が子との時間が取れないことに罪悪感を抱いたこともあった。
でも私の家族は社員も含めて家族だと捉えてから、罪悪の概念を手放した。
人生どうなるかわからない。今思うこと。
ペンキをつけたジャンパーで駆けつけてくれた母の姿は、誇らしいほど一生懸命生きる姿だったんだと。
(ちなみに今も生きてる!)ありがとう。私も目一杯生きよう。
 
今の幸せを噛みしめながら。