PROFILE

PROFILE  辻村あいプロフィール

辻村 あい

株式会社 繭の糸キッズ 代表取締役
繭の糸グループ 理事長
株式会社I International 代表取締役
株式会社キャスティングロード  相談役   CLO(Chief  Love  Oficcer)

《ミッション・ビジョン》
ミッション 人生を愛そう
ビジョン 生きがいの創造 世界一企業
バリュー 日本一また行きたい(会いたい)(はたらきたい)(通いたい)〇〇〇

ミッションの「人生を愛そう」という言葉を少しかみ砕いて「“人”と“生きること”を愛そう」と言い換えてみます。「愛」というと照れくさいという方もいますが誰かとベタベタしたりすることではなく、自分の心の中にあるものです。その根っこには「感謝」があります。人との尊い縁を大切にし、生きている命そのものに感謝していると、きっと何が起きても幸せを噛みしめながら生きることが出来ると思います。ミッションの「人生を愛そう」というのは「多様性ある互いを承認し合い人を大切に、生まれてきたことが素晴らしく、すべてのコト、モノに感謝して共に生きよう」というメッセージを発信しています。誰かが一人と手を繫いでいき世界中の平和に繋がる事を願っています。

◎所属する団体
一般社団法人 東京ニュービジネス協議会
公益社団法人 東京青年会議所
東京小石川ロータリークラブ(国際ロータリー第2580地区)
東京商工会議所 文京支部

DISCOGRAPHY

辻村あいディスコグラフィ

  • 1981年

    茨城県水戸市で育つ。(生まれた病院は山口県宇部市)私が生まれて間もなく、6歳(姉)と0歳の姉妹を持つ母はシングルマザーとなる。大好きな祖父母とも一緒に住み、大の"おじいちゃんおばあちゃん子"だった。幼少期からの性格はとにかく恥ずかしがりやで引っ込み思案の消極的。赤面症で人目が苦手、人の後ろにいつも隠れていた。家の中では明るい子、好きな食べ物は”お新香とおかゆと塩辛”で、今も嗜好は変わっていない。

  • 幼少期

    「強運」の思い込みはこの時から始まった
    保育園・幼稚園時代に「トイレで自分の体から大きな白蛇が出てくる夢」を見て、なぜかそれから自分のことを非常に強運な人間だと思い込むようになる。大人になった今でもその夢の瞬間を覚えている。強運ストーリーに根拠はなく勝手に思い込んでいた。

  • 弱虫だけど反発やさんの頑固者
    プールを習い始めた。「次はクロール」とコーチから指示かあっても、クロールしたくないときはしたくないというわがまま反発心がでて、すぐにやめてしまう。そろばんもほかの習い事もあまり続いたことがない。学校で目立つことも、リーダーをしてみたこともない子だった。

  • 小学校時代

    ミニバスケットが大好きだった小学校時代
    小学校4年生からミニバスケットボール部に入り、打ち込んだ。小6では県大会優勝、全国大会にも出場した。中学生になりバスケ部に入るが、椎間板ヘルニアを患い、これで大好きだったバスケットボールは終了。祖父母は脳梗塞などをきっかけに入退院を繰り返す。祖父母の笑顔を見るのが大好きだった。その後長年、介護があり、愛する人が老いる姿を目の当たりにし、気持ちの整理に苦しんだ時代があった。このころから数年おきに円形脱毛ができるようになった。

  • 高校時代

    高校を強制退学となり将来への見えない不安に押しつぶされそうな時代
    高校に通ったのはたった数回だけ。高校初日、1つ目の違反をしてしまう。流行していたルーズソックスが女子高校生の象徴で、それ以外は履いてはいけないと信じていた。指定ソックスの規則を破り、入学式初日にルーズソックスを履いて登校。没収されるかもしれないことを見越して予備を3足もつ。帰りは裸足で下校することになる。高校初日、二つ目の違反をしてしまう。高校の担任の先生から生徒に、「今日は入学式の初日だし、くれぐれも制服でカラオケなど行かずにまっすぐ帰るように」と忠告があったにも関わらず、数名でカラオケへ行ってしまいすぐにバレた。初日にも関わらず校則を守らないとんでもない学生だと注意を受け、"2週間自宅謹慎"を命じられるが、外出してしまった。またこれもすぐにバレた。その後、強制退学となった。
    退学後15歳16歳までフリーターをしながら、将来への漠然とした不安により自暴自棄になりかける。このままではいけないと一念発起し、改めて高校受験することを決意する。2年遅れで高校へ入学し、20歳で高校卒業する。高校中退の過去の事実は35歳になるまで封印していたコンプレックスだった。

  • 人生で大きなプレゼントとなる出来事にあう 円形脱毛症とも長いお付き合い
    高校退学後のフリーター時期には私の人生に大きなプレゼントがあった。それは母の1億円の詐欺に遭う現場に居合わせられたこと。母親がグリーターの私を仕事現場に連れて出かけていた。喫茶店でスパゲティを食べる私の横で、母親はある女性と新規ビジネスの打ち合わせをしていた。母はその相手に会うたびに現金を渡していた。後から知るとそれは詐欺だった。話が聞こえていても、善悪の判断ができなかった私は母を守ってあげられなかったことを心から悔やんだ。悔しい、悲しい気持ちに折り合いをつけることを経験した。しかし今となっては1億円の詐欺で、100億円レベルの学びをしたフリーター時代だと、その出来事に大変感謝している。この頃母が私に言ってくれたことは私の大切な信念に繋がる。「お金は遣い方を間違えたらなくなってしまうことがある。だからあなたは自分を磨きなさい。人格品格を磨きなさい。それはだれにも盗めない財産になるから。」大きな意味のある言葉だった。とはいえ、当初は22歳で上京するも、やりたいこともなくフリーター時代を過ごす。母親のスネをかじりながら生活する。 いよいよ母親の会社が傾いてることを知り、本当にかじるスネがなくなることを知り、甘ったれた自分が一念発起し会社員となる。人財育成の研修会社に入り、営業、講師、部門長を経験する。この時代の経験が今につながる体験である。母は地元を離れ、東京で私と二人暮らしになる。一文無しになった母とよく話してたこと。「お金の貧乏をしても心貧乏にはならないで、心は豊かに生きようね」

  • 2014年

    32歳初めての会社設立 株式会社 繭の糸キッズ(旧:辻村人財コンサル株式会社)を設立
    必死に生きていた母を幼少期から見ていただけに、私は母とは逆に優雅そうな女性になりたいし、特にやりたいこともなければ働く自信もなかった。「一生働かない宣言」をし、仕事から逃げるような気持ちで30歳結婚・第一子を出産する。しかしひょんなきっかけで出産約一年後に企業の人材育成研修の講師業を始める。まもなく第二子の妊娠中、2014年5月に辻村人財コンサル㈱設立。3か月後の8月息子が生まれるが預け先の保育園がなく、自身がわが子を預けたい保育園を創ることを決意。研修事業に加え、2015年4月より保育事業(認可外保育園は後に、小規模認可保育園へ移行)をスタートし現在に至る。

    2017年3月企業主導型保育事業「繭の糸 こども園」開園
    2018年3月企業主導型保育事業「繭の糸 ひよこ保育園」開園
    2018年3月企業主導型保育事業「繭の糸 神楽坂保育園」開園
    2018年4月文京区小規模認可保育園「繭の糸 おとわ小規模保育園」(認可外保育園から移行)

  • 2020年

    新規事業 一般社団法人 繭の糸保育チームを設立
    主に保育士の人材教育を行う法人を設立。2020年より「東京都保育士等キャリアアップ研修」指定研修事業者となる。命を預かる保育園を自ら運営し、苦悩がありながらも尊く感じることは「誰と仕事をするか」である。自社他社ともに、保育に対して思いがある保育士に多く出会うが、思いを体現できずに悩む保育士たちにもそれ以上多く出会ってきた。個人の成長に伴い、チームビルディングが重要な保育運営を支えたく「保育士が学ぶ場」をつくることを決意。
    また人格形成において重要な幼少期に直接携わる保育士こそ、自己肯定感と主体性をもって生き、そういった保育士が仕事に携われば、それこそが生きる教育であると考える。長い目で見た時に今社会問題で起きている「いじめ・虐待・DV・自殺…」にも、保育士の教育は大きく影響すると考える。

  • 2021年

    新規事業 株式会社 I Internationalを設立

そして、今。そして、未来…

混沌とした世の中ですが、今こそ私たちが真の幸せと愛を追求することに意味があるのではないでしょうか。

誰もが生まれてきてよかったと感じ、自分を信じ、仲間と共に生きていく喜びを感じていきたい。
出逢うべくして出会った仲間たちと、これから力を合わせて生きがいの追求をし続けて参ります。
私たちはトコトン理念を追求していきますが、理念は体現することでしか浸透しません。

会社の理念と社員たちの生きる理念を重ね合わせ、10年後を語りながら今日を大切に生きていきます。

Business

活動

Identity  辻村あいのアイデンティティ

家族・仕事・私…

私は予定通り、計画通りに物事を上手く進められたことがほとんどありません。そんな自分はダメな人間なのではないかと、いつも劣等感を抱きながら生きてまいりました。ですが、35歳ころにふと気づきました。上手くいかないこと、悔しいこと、悲しいことは全て人生のエッセンスで、その分だけ自分の心に厚みを与えてくれました。人生は全て自分の選択の連続で、正解不正解もなく、ただ決断しながら生きていっている、そして一本の糸を美しく育てていくものなのではないかと思います。どんな出来事も起こるべくして起きているので逆らわずに、何があっても前を向いて行動し、感謝して生き、人生を愛することを多くの世代の人たちと共有していきたいと願っています。